・・・日本画を選ばれた理由をお聞かせください。
子供の頃から絵は好きでしたが、私の母がイラストレーターに憧れていまして、娘に希望を繋いでいたといいますか(笑)。その影響があって幼稚園の頃にはお絵描き教室から始まって、まだ遊びみたいなものでしたけれど、油絵や水彩なども勉強していました。将来の進路を考えたときに、大学は美術大学に行くとしても、何を専攻しようかと、油画は匂いが駄目でしたので、日本画に進もうと考えました。
その理由は、自分のアイデンティティーの源である日本の歴史や文化を学びたいと思ったからです。そう思った動機は実は私は幼稚園から高校までカトリックの学校で学んでいたんです。けれどその校風が、西洋の文化の真似のように思えて、例えば宗教の授業で、聖書の一場面の絵を何でもいいから描きなさいと言われたのですが、見たことがないのでわからないんです。そこで何を参考にしたかといえば、ハリウッドで作られたベン・ハーだとか、十戒だとか、そういう映画でした。でもあれもアメリカで制作されたものにしかすぎない。こういうのは、借り物ではしょうがないじゃないかって、それを高校生のときに思ったんです。
・・・実際に見ないと、本質は掴めないかもしれませんね。
油彩画にしても日本で見れるのは、印象派以降、全貌を見れるわけではないですからね。フェイクを真似してもしょうがない。ただ日本画を専攻しましてとりあえず学校に行ってみましたら、皆すごく上手でびっくりしてしまって、登校拒否になるかと思いました(笑)。
・・・日本画と一口に言っても、近代から現代にかけてものすごい変遷がありますよね。
戦後は伝統日本画の特色を保ちながら、西洋絵画に対抗できる画面を作り上げるために、簡潔で明晰な空間構成を捨て、厚塗りによる物質感溢れる画面を作り上げていった。それは本末転倒というか、場の空気感や温度や湿度を肌で感じて自然を描写する日本人の心を、忘れてしまったようにも思います。
戦後の日本は価値観が変わってきたからでしょうね。敗戦のショックとも非常に深くかかわっているとも思います。ある意味コンプレックスがあるために高い目標を掲げ、自分で山の高さを決めてしまった。精神性を追う姿は修行僧みたいに見えるといいますか。ただ私は現場主義ですし、そういう心を忘れないように自分が感じたままに、納得するものが描ければいいのではないかと思っているんです。肌で感じて、「これを描きたい」と思ったものを描いていければと・・・。
・・・肌で感じるにはその場に行かなければ、見えないものがありますね。
形にとらわれずに、そういう部分を描くことに価値があると思います。それが描き手のモチベーションでもあるし、見る側の感動にも繋がる。
それこそ魚を描いていた頃は、シュノーケルをつけて川の中に入り、短い生涯でいいからこの川の中で生きていければと思ったこともありました。感情移入もここまで来るとバカみたいに思われるかもしれないけれども(笑)、魚になったつもりなんです。ですから、馬なら馬になったつもり、ペンギンならペンギンになったつもりになる。最近は風景をよく描くようになったのですが、場の雰囲気が自分の中にどっと流れ込んでくるんです。それを吸い込んでいるときは、ギアをニュートラルにしておかないと駄目ですね。
・・・ギアをニュートラルにですか。
例えば雪景色を描きに行ったときであれば、凍てつく寒さや除雪をした道路を通る車の湿った音、見上げた空など、その場の有形無形のエナジーみたいなものを吸い込んでくるといいますか、その場の雰囲気に自分が分解して溶け込んでしまうといいますか。場の雰囲気を仮にチャンネルと呼ぶのであれば、それにピタッと符合することで、とても快感を感じるんです。それをキャッチしたときは、それこそ世の中のすべての欲求がいらないぐらいの幸せを感じます。そしてそれをキャッチしたまま家で描けば、再び幸せを味わうんです。自分の中に、いっぱい入ってきたものが今度は出て行くわけですから。自分の中では、吸い込んで描いて出して、発表して、それがまた伝播する。それがワンセットなんです。
・・・チャンネルといういい方はおもしろいですね。
リラックスした状態のときの方がスイッチが入りますね。余り一点に色んなことを集中させてしまうと、ほかのことを排除してしまうんです。ちょっと疲れて、ぼぅっとしてる時間に色んなことが入って来る。それが私の脳の中に、重層的な記録として蓄積される。一般の方たちでもそういう体験を必ずどこかで無意識で持っているから、作品を見ることで、イメージが浮かび上がって、そこにチャンネルが会えば感動に繋がるのではないかと思うのです。人間というのは抽象的なものをそのまま伝えることはできないから、一度具象に置き換えて、それをまた抽象的なものとして伝播していく。絵というのは抽象的な何かを「宿す器」みたいなものかもしれませんね。見ている人の中に詰まっている何かを、引っ張り出す一種の装置といいますか。私はそういう日本画を描こうと思っているんです。それは見ている人の琴線に触れたということ。そういう現象が起きると3段階で気分がいい。私が絵を描くのはそれが基準です。
・・・なるほど。ところで今度絵本を描かれたとお聞きしましたが。
福音館書店で毎月刊行されている「こどものとも」シリーズの中の一冊で、題名は「きんのねこ ベラルーシの昔話より」といいます。ベラルーシは、ロシアとポーランドに挟まれた小国で、面積は日本の約半分。1986年に、チェルノブイリ原発事故が発生したときには、風向きがベラルーシに向いていたため、深刻な被害を受けましたが、日本にはない豊かな自然がまだ数多く残っている国なんですよ。そこに古い民話があるので絵本にしませんかというお話をいただいて、ただ、今まで現場主義で描いているので、描けるのかどうか不安がありました。でももしかして絵巻などの感覚に共通したものがあるかもしれないと思って、引き受けたんです。おもしろそうだと思って始めたんですが、とても大変でした。でもやってみてよかったと思います。
・・・日本画を描くのとはかなり違いましたか 。
そうですね。日本画は画材がすべてを支配している部分があります。紙や絵の具、膠に箔。私も17年絵を描いていますが、日本画の絵の具でものを考えるみたいなところがあるんです。考えを構築するのに、これこれこういう準備をする。というような頭になっているところがあります。今回絵本を描いてみたら、案外自分の作り上げた日本画のノウハウの中でくるくる回っていたんだなということがわかりました。日本画というのは、特殊な素材を扱うから技術は当然なければ困るけれども、そこから偶に視線を変える仕事をやらないと駄目だなと、ただ変えるといっても、技術を全部捨てて新しいことをやるわけではなくて、どういう可能性があるかと、もっと研究すしなければいけない。紙の扱いでも絵の具の扱いでも、こうなればこうなるんだなという蓄積ができるじゃないですか。それはとても意味があって大事なんだけれど、より多彩になるためには、ちょっと大回りしなければいけないのかもしれないと思いました。ですから今までリアルにデフォルメしないで、その通りに見える風景とか、その通りに見える動物を描いてきましたが、40歳を過ぎて、それが非常にいい練習になったと思いますね。これまでが自分の特訓期間だったのではないかと思うんです。
・・・そうすると、これからはどのような展開を考えていらっしゃいますか。
自分も刻々と変化していきますが、その時々で交流を持つその時代の人々や、その時代の空気だとかとは絶対に歩調を合わせなければいけないと思うのです。そうじゃないと永遠のアマチュアになってしまいますから。ただ今色んな刺激が欲しいところなんです。異文化交流とか、ものすごくうまい方の隣で描いたりとか。この前、朝10時から夜10時までクロッキー76連発を描いたんですよ。モデルさんがとても素晴らしくて、次から次にポーズを繰り出すんです。ものすごく燃えました(笑)。そういうことで自分に活を入れて、これからの時代と歩調を合わせていきたいですね。今までは穏やかで平和な例えば牡丹だとか富士山のような日本画然とした日本画が主流だった。現在ですと桜であったり、きれいな馬がいたりするちょっと懐かしい風景。でもどんどん意識が変わってきていて、段々私の同世代の感覚に近づいてきています。それがすごくワクワクするんです。でもその人達が絵を買う年代になるまでにはあと15年くらいはかかる。そういう時期に来たら出せるように今から自分を磨かなければいけない。それが本当の勝負かなと思っています。でもそれまで大回りして、どんどん勉強してどんどん吸収していきたい。人生は一回切りだから、いろいろ考えると時間が足りない。120歳とか150歳まで生きないと時間が足りないんですよ。
・・・これからもがんばって下さい。
(c)HIRAKO MARI





